3月11日という日

みんな、何を思ってこの日を迎えたのだろう・・・
あれから1年が経ちました。
あの日、僕はテレビの取材を受けている最中でした。
「東京で大きな地震が起きた」 取材中のテレビのクルーに入った第一報は「東京で」という
情報でした。「お台場で火事」とか続々入ってくる情報に「東北の」という情報は無かった。
取材を終え会社に戻るとスタッフが顔色を変え「東北が酷いことに・・・とりあえずテレビを」と
言葉を詰まらせながら僕に言ってきた。
目に飛び込んできたのは仙台空港を襲う黒い波、それが波だとは、その時判らなかった。
その日の夜、テレビから流れて来る映像は9.11以上の衝撃だった。
「事実なのか?」(心では嘘であって欲しいと願うばかり)
その夜、携帯電話の緊急地震速報のアラームが何度か鳴った。
その度に産まれて間もない息子を抱きかかえた。
東北が揺れ、長野県が揺れ・・・確実に近づいてきている。ほとんど眠れなかった。
翌朝のテレビ、どれが本当の情報か判らないくらいの惨状。
東北に居る親友とは連絡が取れなかった。「絶望」という言葉が頭に浮かび、消さそうとする自分。
「生きていて欲しい」という願いと「生きている」と信じる気持ち。
そして何もできない無力感。
親友は生きていた。奇跡だと思った。
でも奇跡の影には多くの尊い命が失われた悲劇がある。
そして、その奇跡でさえも私達が想像できない過酷なものであるのには変わりない。
「がんばれ」という言葉は今もかけることができない。
だって生きることを精一杯がんばっているのだから・・・これ以上何をがんばれと言えるのか。
「俺達ががんばる」そして「絶対に忘れない」自分自身に言い聞かせる。
絶対にあの日を忘れない。
この1年必死に生きてきた人たちの姿を忘れない。
日本人として。

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