45歳

45歳

2019年5月23日0時0分
静かに45歳を迎えた。

静かにと言えば、さもその時を受け止めながら時を迎えた風に聞こえるかもしれないが現実的には心を癒す ジブリ 音楽リストをYouTubeで聞きながら寝落ちし気が付けばいつもの朝になっていた。

そしてこの文章を書いている。

45歳になった。

だからと言って何かが大きく変わることはない。
肉体的な変化は40歳を迎えた時の方が衝撃的だった気がする。
今年に入ってから四十肩の痛みとの戦いが肉体的な劣化を感じさせる。
私あてに表示されるWEB広告が枕とヒアルロン酸で埋め尽くされている。

とはいえ
悲観しているわけではなく生きていれば必ずやって来るものを素直に受け入れられるようになっているのが40歳代半ばの余裕というやつなのかもとも思う。

40歳になってから人生折り返し点だという思いが強くなり「今までの人生で経験したこと無いリスト」を掲げ、とりあえずやってみるということを始めてみた。ジョギングに始まり空手、今はボルダリングとストイックに肉体改造することで肉体と精神のバランスを保てている気がする。

生活習慣では早寝早起きに始まり禁煙、断酒と食事コントロール、ここ3年で完全に生活の中にルーティンが確立したように思う。

まあ、こんな感じなので夜外出することはほとんどなくなり月に1~2回、限られた友人と会う以外は出かけなくなった。

ここまでの内容を自分で読んでも「お前どこに向かってんの?」と思ってしまうくらいなので周りは更に不思議に思っているらしい。外に出てないがゆえに色々な憶測も招く・・・病気説・宗教説・家庭不仲説・鬱説、まあネガティブな憶測を挙げればきりがない。とりあえず久しぶりに会う人には色々な含みを持った言葉で「元気なの?」と聞かれる。

答えはイエス

竹原ピストルさんの歌詞のようだが、まあ普通に元気です。というか前述のような生活スタイルで万が一、元気じゃない場合、世の中に溢れている健康になるための情報すべてが嘘になりますね(笑)

人生の中でここまで自分の体に意識を向けたことはないというくらい「体」について考えるようになった。なぜ今、自分の体に興味があるのか?
一番の理由は「努力が一番報われ結果が見えるから」ということだと思っています。仕事や勉強、スポーツ(特に誰かと競うようなタイプのもの)は「努力すれば、頑張れば、報われる」が非常に曖昧なカテゴリーだと昔から思っています。ある種、仕事や勉強、結果を求めるスポーツを「頑張る」ということには制限があります1日24時間時間的な制限や肉体的な制限、もちろん資本が必要な場合は財源などなど、この頑張るというのは、ただがむしゃらに「こなす」ということではなく効率的に頑張ることの先に結果があり、そこにはタイミングやもっと言えば「運」さえも絡んでくる「努力」になります。

今、体をストイックに鍛えていることに関してはゴールがあります。そのゴール自体は「やれば必ずできる」ゴールであり「運」とか「タイミング」のたぐいの外的要因を受けない「努力」であること、そして「報われる」というご褒美を少しづつでも感じる幸せがあることが心の栄養になっている気がします。

とここまで書いて・・・
「外的要因を受けない」なんてないことをこの文章を書いた約1ヶ月半後に直面することになるとは思ってもいませんでした。

油断大敵