こんなことを言うのも何ですが、退院して2日目(これを書き始めた日)ですがすでに病室が恋しくなってます。完全空調でコントロールされた院内、静かな空間、健康的な食事、適度な運動。
まあ人間の”欲”をそぎ落とした中での必要最低限ではあるが最高の生活空間が病院にはあると10日間の入院で感じてしまった今、自宅という環境に落ち着きを感じられないジレンマがある。
時期が時期だけに仕方がないとは言え、夏休み中のこども達と母親の終わりのない舌戦が繰り広げられている自宅は朝から晩まで雑音で溢れ、田舎者が初めて都会に出た時くらいのインパクトで頭に響きます。
原因は勉強しない子供?
舌戦の原因は「だらだら食べ終わらない朝ご飯」 「支度が遅い」 「部屋が散らかってる」などなど日常の中の細々としたこと数あれど、一番の原因は「勉強する・しない」が原因なのは間違いありません。
こども達のことで親が意見をぶつけ合うのは、こども達にとっては戸惑いを生じさせるだけで何一つプラスになることはないと思っているので教育(主に勉強)の事に関しては父親としてできるだけ口出ししないようにしています。
ただ、母と子の舌戦がヒートアップし喧嘩になる頃には必然的に仲裁に入るわけでお互いの言い分を聞けば、まあどちらも正論と言ったところでしょうか・・・
母親の言い分
「たったこれだけの勉強集中すれば30分程度で終わるのに2時間以上もかかってる」「時間が経てば経つほど集中力が無くなり答えが雑になる」
子供の言い分
「最初はこれだけで良いと言われた勉強が次から次へと増やされる」「他の子がこれぐらいやってるからと比べられる」
と、まあどこの家庭でもだいたい同じ感じなのではないでしょうか?
母親はとにかく勉強して欲しいという思い、反して子供はどこに向かって勉強するのか解らずストレスを感じる。親と子というよりも大人と小人の考え方の相違による問題だと思います。
親である僕たちの子供時代
さて、ここで自分たちのことを考えてみます。父親である私、子供の頃、勉強が好きだったか?と言われれば好きな時代もあれば嫌いな時代もあった。一概に好きとも嫌いとも言えないというのが正直なところです。
小学校の頃は、 わりと勉強が好きで、好きだからこそ勉強が出来た方だったと思います。中学校1年~2年は少し学級崩壊気味なクラスだったので成績は急激に下がり勉強が嫌いに・・・3年生になりクラス編成が新しくなったことで勉強意欲のある雰囲気に促され勉強を再開、ただスポーツ推薦での入試だったために一般的な受験をしてないため最終的な達成感は得られなかった気がします。
高校に入ると1年生から完全に学級崩壊のクラスだったために完全に勉強からはドロップアウト、数学の基礎部分をここで放棄したため、僕の人生から数学というものが消えました。
この時が人生の中で最も勉強が嫌いで信じられないくらい悪い成績が当たり前になってた時代でした。結果、留年ギリギリのラインで春休み直前の補習でなんとか進級できたのも事実です。
2年生になりクラスが変わったことで授業を受けるという当たり前の環境に戻った。いざ勉強してみると1年間、全く勉強しなかったというツケがここに来て如実に現れる「勉強の仕方がわからない」。
3年生になり、なんとなく大学進学を目指すも当然だが手遅れとも言える状態で、その時点での偏差値で受けれる大学など限られていた。
幸い友達には恵まれ勉強のできる友人たちが勉強の仕方を教えてくれたり、解りやすい参考書をくれたりとギリギリではあるが3年生の秋の時点で国語と英語だけはなんとかなるレベル(まあ受験を受けれる最低ライン)までになった。
今、思えば僕が国語と英語がなんとかなったのは、小学生の頃(勉強が好きだった頃)本が好きでかなり大量の本を読んでいたという経験があったからだと思います。文章の組み立て、内容の把握、要点の切り出し、この辺が能力として少なからず身についていたおかげで国語も英語も文章問題に関して言えば漢字と英単語の意味が解ればなんとかなりました。
なので受験勉強も国語と英語に絞り、さらに漢字と英単語の暗記、これだけを3年生の9月から受験日ギリギリまで朝から晩までずっとした記憶があります。結果、最後に受けた1校だけ合格しました。
と、私に限ればこんな感じなので、こども達に【勉強する明確な定義】を説明したとしても説得力に乏しい感があります。「大人になった時、苦労しないため」とか「良い仕事に就く、良い会社に入るため」全く答えになっていない軽いフレーズでその場しのぎしそうです(笑)
一方、妻はと言えば、正直、こども時代の妻の話はあまり聞いたことがありませんので勉強が出来たのか?出来なかったのか?は知る由もありませんが少なくとも優秀な家系であることから勉強に対する想いは私よりも遥かに強いような気がします。これは我が家だけではなく一般的に母親というのはそいうものなのかもしれませんが。
こども(小学生)の気持ち
勉強しない・勉強が嫌いなこども達が必ず言う決め台詞があります。
「どうして勉強しなきゃいけないの?」
これを、すべての勉強しない・勉強嫌いなこども達が納得する返答ができればノーベル賞に値すると思います。ただ最も多くの大人は前述で書いたような「漠然とした将来の為」のような話をすることが多いと思います。
それはなぜか?
多分、大人も勉強したことのメリットを心から感じることができていないからだと思うのです。「たくさん勉強したから誰よりも幸せになった」では、誰よりもの部分が、どの範囲までの “誰よりも” になるかにより幸せ尺度が変わるからです。世の中、上を見ればきりがないということです。
そして大人になれば、勉強してこなかったけど幸せそうに見える人たちや勉強の成績はそれほどでもなかったのに羨ましく思える生活をする人がいたりと「勉強する量=幸福度」が成り立たない現実を知るからだと思います。
こども達にしてみれば「大人になる」というイメージが無い中で大人の考える理想を根拠に勉強させられていることに納得いかないのも当然だと思います。
親の職業によっては該当しない場合もあります。
親の仕事を継ぐということを自然に感じているこども達は勉強する理由が小さい時から明確であり、そこに迷いが生じません。言葉を変えると勉強しないという選択肢がなく勉強をして○○になる、もしくは勉強しないと〇〇になれない。という環境で育つ場合には今回の話の中心にある「勉強しない」という問題ではなく「勉強ができる・できない(成績が良い・悪い)」という別の問題が中心となってきます。
※反対に勉強ではなく特殊な技能的なものが必要な職業の場合は勉強よりも大事なものがあると教えられるケースもあると思います。
母と父の考え
母親である妻の考え、父親である私の考え
妻は勉強する基本スタンスを「〇〇になるためには勉強しなさい」という考えがある。これはとても合理的な考えで勉強する理由としては最も説得力のある説明を伝えることができます。
ただし難しいのは「〇〇になんでならなきゃいけないの?」聞かれた際に、こどものモチベーションが上がる答えの用意が必要となります。この部分の擦り合わせが上手くいかない場合、母と子の摩擦が生まれる気がします。
一方、父親である私の考も、なんだかんだ言っても母親の意見に賛同する部分が多いのも事実で、自分の経験上、早い段階から明確な目標をもって勉強することで余計な苦労をすることを回避できることが多い、さらに大人になった時にあらゆる局面でアドバンテージを得られるのも学力という基本能力があってこそだと思う。ただ妻と私、勉強方法については、若干、考え方が異なります。
簡単に言えば、妻が理系脳で私が文系脳であるがゆえ、勉強方法についての解釈が異なり、こどもに勉強を教える際に意見のくい違いが発生します。
正確なプロセスと答えを求める妻
プロセスに違いがあっても答えが正解ならよしとする私
この意見の違いは、こども達を戸惑わせるだけなので基本、私が勉強を教えることはありません。図画・工作・体育・家庭科が私の担当です。
お受験があるないの違い
さて少し話を戻し、こども達の勉強環境についてです。ある意味「お受験」という直近の目標がある都会と近隣の中学校まで何もせずに進学していく地域では勉強に対する意識が大きく異なります。こどもたちの意識の中でも受験というものがあっての勉強と学校で勉強するだけの勉強では優先順位が変わります。
もちろん現代においてはどんな地域に住んでいたとしても親の努力次第ではお受験することができますが今回の話の論点的には後者の近隣の学校に通うことを前提とした勉強する・しない話ですのでお受験がない環境で勉強が好きになる、もしくは好きではないにしても自主的に勉強してくれ親子の摩擦がなくなるにはという話で進めていきましょう。
小学校で勉強する子・しない子
ざっくりとですが普通の小学校低学年の各クラスで自主的に勉強する子の割合って10%くらいではないでしょうか?いわゆる周りの友達たちが「あの子は勉強できる子」と言われるタイプの子の割合です。
そしてその割合は今の時代も私たち(今40歳代)の時代も高学年になっても中学校になってもあまり変わらないというかその時に10%だった子たちの顔ぶれに大きな変化がないと思いませんか?
中学校になり多少、新たなメンバーが加わるにしろ、ほぼ小学校低学年の時から変わらない比率と顔ぶれになります。
大人になってから考えてみても当時、その子たちは勉強はできるが学校での勉強をガリガリするようなタイプの子はいなかった気がします。ただなんとなく共通することは、早い時期から塾に通っていたり、そろばんを習っていた子が多かった気がします。
学習するのが当たり前の環境を学校以外で持っていた子たち・・・
勉強する子・しない子ではなく
勉強するのが当たり前の子と勉強をわざわざしなくてはいけない子には学力に関しては大きな差が出ると個人的には感じます。小学校くらいでは学ぶこともそこまで難解な問題もないので1年程度頑張れば挽回も可能ですが、わざわざ勉強しなくてはいけない環境にいるこどもにおいてそれすらも難しいことなのかもしれません。
何が書きたかったのか?
教育者でもない普通の昭和40年代生まれの私が長文を書き最終的に何が書きたかったのか?まあ一言で言えば私の「愚痴」です(笑)母と子が勉強するしないで喧嘩をする日常にストレスを感じたため吐き出してみたのですが、書きながら思ったのは各家庭でもきっと似たようなことがあるのだろうな~ということと、父親の役割、母親の役割って皆さんのところではどんな感じなんだろうな~?ということを考えながら書いてきました。
母親が子供を思う気持ちというのは父親を遥かに凌ぐと私は思っています。だから母親の思いをこどもが受け止め期待に応え母親が喜ぶ、そんな姿が見られれば何もストレスを感じないハッピーライフなわけです。
そうなるために父として何ができるか?
まあ、ほぼほぼ役立たずではございますが楽しく生きることができている大人たちの姿や、わくわくするような仕事をしている人、もちろん自分も含め「大人っていいなー」って思えるようなことを伝え話し合うことが少しでもできれば、将来へのプロセスにおいて勉強の必要性に気づいてくれるのかもしれないと考えるのです。
なので、そんなことを考えるためのアウトプットがこの長い長い独り言のような文章になったわけです。世の父親の皆さん、家族のために今日も明日も明後日もがんばりましょう。
なによりも健康第一です。